諦めと脳内リソースに基づく『ガチエリア』の勝ち方
スプラトゥーン2、1,000時間くらいプレイしたのに脳内記録を取らないの勿体ないなぁと思ったので今回はスプラトゥーン2のガチエリアについて。
「勝ち方」だなんだと表記すると仰々しくなるんですが、あくまで『僕個人』のゲーム体験に基づく思考プロセスをメモりたいだけです。
自分のスプラトゥーンライフの参考文献になれば御の字。
上位勢でもないし教則として残したいわけじゃないです。これが正解だとは一切思っていないので「なんか言ってること違うな〜」と思ってもこんな意見もあるんすね〜くらいの気持ちで見てね。あと9割精神論。
はじめに
勝ち方について語る前に大事な前提なんですけど、対戦ゲームにおいて全ての試合を100%勝つのは不可能です。
このマインド、めちゃくちゃ大事なんですよ。プロゲーマーでも百戦錬磨の上位勢でもない僕ら凡人は勝率100%なんて数字出せないです。上位勢でも無理じゃないかな。
「何を当たり前のことを…」なんて思うけれど、このマインドがあるかないかで全然違ってきて。
具体的に述べると、『負け』もしくは『負けそう』という試合の結果や過程において消費される脳内リソース量が著しく変わるんですね。
勝ちに拘るというのは、エネルギッシュでとてもプラスに働く必要不可欠な思考ではあるんですが、どんなに上手い人でも負けるときは負けます。
拘るあまり、負けた要因を自分や味方に対して強いるのは、勝つために必要な思考を大変阻害してしまうので更に勝てなくなる負のスパイラルに突入しちゃうんですよね。これスプラあるあるなんですけど。
なので、前提として負けるときは負けるよねという『諦めの境地』に立つことがものすごーーく大事です。上達するにも、精神衛生上も。
そもそも諦めるって言葉、そんな悪い言葉じゃないんですよ。
「諦め」とは「希望していることを途中で止めること」という意味で、「放棄」、「断念」など、マイナス的なイメージが強いのですが、「諦」という漢字は悪い意味がありません。
仏教用語では、satya(サティア)の意味で当てられている漢字でもあり、「真実」、「真理」、「悟り」を指しているいいもじなのです。
日本語では「明らかにする」という解釈に近いのですが、日本語の「諦める」と「明らか」は、言葉としては同じ語源であることから、「物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、諦められることができる」という意味に発展していったとされているのです。
それが時代を追うにつれて、「明らかにする」の意か失われて、「望んでいることを途中で止める」となってしまいました。
ドイツの詩人ゲーテは「個人が何事かを達成するためには自分を諦めなければならない、しかし誰もこのことを理解しようとしない」と言っていて。
できるわけがないという悟りからが自らのスタートなんだとおもいます。
諦めと言えば、ジョジョ7部SBRのサンドマン戦大好きなんだよね。ジョニィ・ジョースターが自己を諦めることによって、自分の理想と現実のギャップが埋まったシーン。本来こうあるべきだという自分を諦めてからようやく本当の自分が見えた。そしてタスクact2が発現したわけなんだがやっぱそこからがスタートなんだよなーーーーとおもう。
話ズレたけど要はゆるくやろうねってこと。
『ガチエリア』の勝ち方
諦めの境地に立ってからようやく本題、『ガチエリア』の勝ち方について。
ガチエリアで勝つためには言うまでもなく敵チームより長くガチエリアを維持したほうが勝つ。
スプラトゥーンにキルマッチはないのでキルはあくまでエリア確保の手段ってのは当たり前のことなんだけど、重要なのは「敵より長くガチエリアを維持するために求められるものは何か」ってこと。
結論から述べると「この仲間達と、今、この瞬間に自分がどのように立ち回れば敵を上回り試合に勝つことができるのか」を試合中考え続けることかなーと思います。
=脳内リソースを如何にここに残せるか。
ここに陣取れば勝てるとか、定石はこうだからこう動くみたいな正解はないんですよね。なぜなら1,000時間プレイしても一度として全く同じ試合展開はなかったので。
だからこそ最適な選択を考え続けることが勝つために必要なことです。当たり前のことじゃんって感じだけどそれしかないのかなとおもう。ガチとエンジョイの境目もここ。考え続けるか否か。
ただこれ、脳内リソースを大量に必要にするので中々考え続けられないんですよね。
しかもそれ以外にも大量消費しがちな事柄があるんですよ。
それが、ガチマッチあるあるの『味方が弱い』やら『編成』で負けたーってやつ。これめちゃめちゃ分かるんですけどめちゃめちゃダサいんですよね。
ダサいのは別として、他人のせいにするのは自尊心を保つ自己防衛反応なのでそうなるのは自然だし実際本当にそれで負けてしまったのかもしれないけれど、それを理由にしてる自分。俯瞰するとかなりきついよね。僕なんですけども。
さらっと終われば別にいいんだけれど、その試合を一生引き摺ってTwitterでリザルトを晒しアカウントを特定した上フォロワーと共に戦犯だと徹底的につるし上げるなんかまでやってる人もいるんですよね。いるんかな。まあでも勝ちに拘っていたつもりが気付けば自己が肥大しまくってる人いるよね。僕なんですが。
話ズレた上ここまでする人は中々おらんかもだけど、味方のせいにし続けること、事実脳内リソースを大量に消費してしまってるんですよ。なので、本当に大事な、『最適な選択肢を考え続ける』ために必要な枠が脳内に残ってないんですね。
だからこそ、先程も述べた『諦めの境地』が本当に大事なんだと思う。負けるときは負ける。それが勝つコツなのかなあと思います。最近の勝率5,6割なんですが。
じゃあ、具体的に試合中何を考え続ければいいんだよーーーってなるよね。僕が思う勝利に対し個人単位で求められる事項は
-
エイム力
-
盤面把握力
-
索敵力
-
クリアリング力
-
予測力
-
カバー力
-
忍耐力
-
行動力
-
報告力
-
オーダー力
- ゲームメイク力
-
視野
-
知識
-
キャラコントロール
なのかなと思ってて。(他にもあるかも)
特に11が大事。いかに味方と共に試合を運ぶか。
これら全てを高い次元で保てれば個人単位でできることは他にないしほぼ試合に勝てます。ただこれ各々詳しく触れないけど正直多い上、何回も言うが脳内リソースを大変圧迫するんですよね。
例えば、対面に手こずり頭の中が手一杯になってしまい気付けば味方は自分一人だけ…とか。
上位勢と呼ばれる人達は多分これらの意識配分、切り替え、判断力と力加減が上手なのかなあ。
全体のリソース量、程度はあれ僕らとあまり変わらないと思うんですよ。ただ、彼らは実戦なり練習なりで経験を積むことで個々のコストを下げて持ち込める量を増やしてるんですよね。すごいよね。
100できることがあったとき、例えばエイムに30割いて盤面に70割いてたらもう頭パンパンなんですよ。なのでそれぞれのコストを削減し限られたリソース量でいかに脳を回すかって方向で考えてく方が勝ちに繋がります。
ひえ〜〜こんなに多くのことに意識割きながらやるなんて無理だよ〜とか、どうしたらそうなれるんだよ〜〜とか僕ら思っちゃうけど安心してね。
僕達に全部同時は無理だから。
無理なんですよ。全部同時は。じゃバラせばいいです。一つ一つ、一歩一歩。
例えば、今週はエイム力を鍛えるぞーとか、今月はクリアリングがんばるぞーとか、今年はキャラコンがんばるぞーとか。
いきなり全部は無理です。人間、結果だけ求めると近道をしたがって上手くいかないんですよね。
アバッキオの同僚もこう言ってるよ
引用:ジョジョの奇妙な冒険・第5部「黄金の風」
で、さっき述べた11番ゲームメイク力について。
これすごく重要で「この仲間達と、今、この瞬間に自分がどのように立ち回れば敵を上回り試合に勝つことができるのか」ってのが所謂ゲームメイク力なんです。
なぜ重要かっていうと答えは至極シンプルでこのゲーム基本的に一人で勝てるようにはデザインされてないからです。仲間と連携しなきゃ勝てないんですよね。だって一人でも回線落ちしたら勝つの厳しいじゃないですか。
ここで一番やっちゃいけないのが、連携の意味を履き違えてしまうことで。味方が自分の思い通りにならなかったから負けたって結論に至るのが最悪のパターンです。
これ盤面見る力とオーダー力が欠如してる例でもあるんですが、この結論に至ると成長も思考もそこで止まるんですよ。だって自分のせいじゃないし、って。の割に自分で「こういうのよくない」って本当は分かりきってるジレンマから消費される脳内リソース量尋常じゃないんですね。
ここにリソース割くの本当に無駄なんですよ。
そもそも、自分と同じ人間が自分の思い通りにならないと赦せないって傲慢にも程があるんですが、正直自分より上手くない人を味方に引くことってどうしてもあります。理不尽な負け方をしてキレそ〜〜〜って青筋ピクピクオタクくんになってしまう瞬間はどうしてもあるんですが、でもそのときだけですね。
言ってしまえば弱い味方を引く、弱い編成になるのは自分だけじゃないですから。その試合だけ切り取ってみたらそうかもしれないですが、ガチマッチ全体の統計とったら皆だいたい同じくらい戦犯候補を引いて、だいたい同じくらいひどい編成になってるとおもいますよ。統計取ってないけど。
なのでこれに一生嘆いて味方ガ〜編成ガ〜としょうもないことにリソース割くくらいなら『この仲間達とどのように勝つか』をという思考をtrial and errorしまくる方面に割いた方が有意義かなと思います。
ガチマッチの勝ち方は『如何に勝つかを何度も何度も試合中演算し続けること』なのでここも意識して鍛えていかないといけないのかなーって思います。考えた上の実行が間違えててもいいんですよ。勝ち方に正解はないから考え行動し続けようぜ!ってことですね。
最後に大事なこと。
そもそも、なんで勝つことが大事かって試合に勝てば気持ちいいじゃないですか。『楽しくなるため』に上手くなろうと練習しているのにそこを履き違えたらまあまあ苦しいのかなとおもいます。
『上手くなるため』だけに練習してたら、結果だけを追い求めてしまい理想と現実のギャップで身体を焼かれ続け終わらない煉獄に囚われてしまうので気をつけたいですね。スプラトゥーン上手くなくても死ぬわけじゃないし誰も激しく批難しないから。
まとめ、『楽しく』勝つためには練習してリソースに余裕を持たせるしかないねってこと。
それを基に考え続けること、そのこと自体が=勝つために必要なことなのかなと思います。
おわりに
結局10割精神論かつ自虐的イタイイタイの拙文で涙ちょちょぎれなんですけど、頭の中メモメモできたんで満足です。
改めて自分で文章読んでみると自分が味方批判に親殺兄貴になってて笑うけど、ここに残したいのは批判ダメってことじゃないです。人間なので批判するときもあるけど、諦めようねってこと。
諦めることで本当の自分と向き合い、考え続けるために一つ一つ積み上げてくという行為。ゲームだけに限らず何事にも当て嵌まる大事なことだなあと思い筆を取りました。
スプラトゥーン3たのしみだ〜〜
日本から14,000km、宇宙よりも遠い彼方に思えたその場所へ。『宇宙よりも遠い場所』雑感
お久しぶりです。
最大規模の10連休であったGWも終わりましたね。
GW期間中、映像文章等媒体問わず8作品を消費したんですが、
その中でも『宇宙よりも遠い場所』について話そうかなーと。
どうしても心が揺さぶられたので、備忘録がてら形に残すね(お前いつも心揺さぶられてるな)
※軽微なネタバレあり
ざっと本作のあらすじを述べると女子高生が南極を目指すガールズジャーニー物。
そこは、宇宙よりも遠い場所──。
何かを始めたいと思いながら、
中々一歩を踏み出すことのできないまま
高校2年生になってしまった少女・玉木マリたまき・まりことキマリは、
とあることをきっかけに
南極を目指す少女・小淵沢報瀬こぶちざわ・しらせと出会う。
高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、
絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、
報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。STORY|TVアニメ「宇宙よりも遠い場所」公式サイトより
最初は「あぁ、今度は南極物ね。」って印象でした。
女子高生を主人公に捉えた作品って色々あって、
ラブコメ
スポーツ
戦車
キャンプ
ツーリング
ロボット
etc...
王道中の王道である女子高生+α
みたいなジャンル、令和を迎えた現在無限に蔓延しているので
お腹いっぱいなんですよね。王道なので外さないんですけれど。
基本的に萌えに媚びへつらう性欲アニメ嫌いなので
「今度はこういう感じなんすね~」「また異世界ものね~」
ってのが多いんですよ。なんでほぼ自分の感で視聴するんですが
今回大当たりでした。さいこ~~~~~~~~~~~だった!
蓋を開けてみたら、
『少女たちが南極を目指す』という物語が主軸となる本作は、東京アニメアワードフェスティバル2019の“アニメ オブ ザ イヤー部門”、“みんなが選ぶベスト100 テレビ部門”にて第2位に輝き、2018年のベストアニメに選ぶ人も少なくない作品で。
加えて、米紙ニューヨーク・タイムズにて、アメリカ国外の優れたテレビ番組を選ぶ“ベストTV 2018 インターナショナル部門”でも第8位に選出。国や文化を問わず高く評価されるアニメでした。
そんなよりもい(本作の略称)の良さを端的に述べるなら、登場人物の行動原理が「ファック!!!」の精神なんですよ。基本的に。
全員が歩んできた人生において異なる閉塞感を抱えながらも、旅を通じポジティブな行動力だけで打破していく様。
人間の強さはロジックではなく『感情』であることを思い起こさせてくれるのが本作の見どころ。
全員が、日常にはない"なにか"を求めて南極に向かうわけだが、4人それぞれが求めるなにかは異なるんだよね。
ある者は青春を実感するために。
ある者は母親の影を探して。
ある者はただひたすら遠い場所を目指して。
ある者は仲間との日々に心躍らせて。
四者四様の理由で宇宙よりも遠い場所を目指す。
旅を通して、絆を深め 、新しい価値観を得て成長していく。
脚本に限らず演出が抜群によく、語らずに解らせるという綿密な技術が光る。
表情、陰影、音楽の入り方、フレーム、光、色彩。すべての情報に無駄がなく理由があって、それら全てがキャラクターの心情を鮮やかに伝えてくれる。
そんな、南極観測隊が南極に向かう前の過程を、南極に着いてからの生活を至極丁寧に描く王道ロードムービーである…
だけで終わらないんですよ!!!!
ぶっちゃけね、丁寧に描く旅物ってだけで130点なんですが、よりもいは物語の定石をぶっ壊してくるんです。
旅に至るまで、また旅を通じて数多の選択をしてきた彼女らの行動原理があまりにも人間らしいんですよ。
弱くて、ずるくて、痛いところには蓋をして。
『人と人に間にある、決して目に見えない関係性』
人と人とのわかり合えなさ、距離感こそがきっと『宇宙よりも遠い』んですよね。
相手が傷つかないように自分の本心を隠す。
本当は嫌な気持ちなのに場の空気を読む。
周りがこう言っているから自分も合わせる。
彼女達は、それら全てに中指立て、
「ファック!!!!」
と突き抜けるまでに肯定していくんですよ。
自分に嘘をついてまで無理をせず、
本気でぶつかって本気で傷つけ合う。
踏み荒らされたくない自分の心の領域に土足で踏み入り、ぎゅっと抱きしめてくれる。
下手なヒューマンドラマを謳った作品なんか比にならんくらい優しく暖かな人間臭い作品でした。南極の寒さと対比してるのもいいね。
ただ、あまりにストレートな作品って泥臭さを兼ねてしまうのですが、本作は音楽の入り方、色鮮やかな本当に美しい演出、心情描写を語らず、魅せるおかげで美しいが強烈に残るの上手いなぁっておもった。
人と人との関係性で何かしら躓いた経験がある人は割りかしぶっ刺さるのかなーなんて思った。突き抜ける肯定って売れるんだよなーー。ストレートに消費者の心に響くので。
某ワ○ンピースのうるせぇ!行こう!(ドンッ!)
的なね。
南極を目指し、南極に行くためだけに生きてきた少女、小淵沢報瀬という少女がいて。
彼女の母親は元南極観測隊の一員で、南極にて消息を絶ったという過去を持つんですね。
彼女の行動原理は基本的に母親の影を探して、母が心惹かれた南極へと同じ景色を見るために南極を目指す女の子なんです。
彼女は母の影を追うために自分の生き様を南極に捧げるんですよ。
放課後の時間は全てバイトに費やし、周りからは馬鹿にされ、突き放され、無視をされ、冷たい視線を浴びながらも自分を保つ。ずーっと彼女は言われてきたんです。
「南極なんか行けるわけない笑」って。
言わせたい奴には言わせればいい。彼女はそうは言うけど、言うても女子高生ですよ。
まだ、弱く力もない彼女が、それでも毎日毎日働いて100万を稼いで、無謀とも言える計画が速攻破綻しながらも執念でチャンスをものにして南極行きを掴むわけです。
そんな彼女がようやっとのことで南極に足を踏み入れた時に出た言葉が「やったー!」でも、涙をこらえきれず出る嗚咽でもなく、
「ざまぁみろ…ざまぁみろざまぁみろざまぁみろ!!!!!!!!!」
なの、最高じゃないですか?
中指突き立ててるんですよ。誰になんて言われようが私は私。
人生を彩るのは他人なんかじゃなく己なんですよね。
でも、母親の影を探してきたのに到着してざまぁみろはおかしくない?って少し思うよね。そう、少しズレていておかしいんですよ。
そのズレは伏線として南極到着後の話に響いてくるんですが、長くなるのでここでは割愛。
薄っぺらい共感で馴れ合う女子高生を、行動で解らせていく描写が痛快で、かつ涙が止まりませんでした。
涙が出る理由って色々あるんですけれど
報瀬が持っている『感情』は、僕の『感情』でもあるんです。
一緒なんですよ。だから涙が出ちゃうんです。
だっていつも頭にあって、世の中へ言いたいもんね。
クソくらえ。俺は俺だ。って。
心が動かされ、感動をするというのは、僕は絶対に『感情』でしかないと思ってて。
ロジックじゃ心動かされないんですよね。人間って。
自分自身の体験とリンクし、登場人物に自ら心を開いていく。
彼女らに止めどない共感を感じた瞬間、人は激しく心揺さぶられる。
この体験は、私のものだ。って感じた瞬間に人は感動をするんですね。
なのでこの旅は彼女らの物であって、『僕』の体験でもあるんです。
物語に没入できてしまうくらい脚本、演出が緻密なので2018年最高傑作と言われちゃうのも頷けるんですよね。だって僕が南極行ってきたんだもの。
主役の4人もそれぞれ語り足りないくらい好きなんですが脇役であるキマリの親友である高橋めぐみが一番好きです。
彼女はいわば、『主役になれなかった持たざる者』なんですよ。
主人公にはなれない僕らと一緒。
ドラマチックな人生は歩んでいないし、変化も臨んでいないし、実力も資質もない。
決して主役にはなれない、日の当たらない彼女は幼稚園からの親友であるキマリの変化を妬み、執着し、足を引っ張る描写があるんですが、これも最高に人間くさくて、いい。キマリは昔からの友達だから。キマリのことは私が一番知ってるから。自分がキマリよりも優れているから。私がいないとキマリがダメだから。
高橋めぐみは、他人を自分より下に置くことで安息を得るタイプの人間なんですね。
こういうタイプいるよねーーーー。ってか自分もその節ちょっとあるよね。
声を大にして言えないけどね。やっぱ、あるんですよ。人間だから。
そんな彼女が、何者にもなれない、足踏みをしたままの脇役の彼女が。
物語にそう絡んでくるのか~~~~~!ってのも見どころですね!
というネタバレ控えめざっくり雑感でした。
今後、人におすすめのアニメなんですか~って聞かれたときは「よりもいはいいぞ…」から入ろうかなとおもいます。
人間関係ってむずいよなー。
ではでは。
Tokyo 7th シスターズ 4thライブ2日目雑感
4th Anniversary Live
— 「Tokyo 7th シスターズ」公式 (@t7s_staff) 2018年10月21日
-FES!! AND YOUR LIGHT-
in Makuhari Messe
全2公演が終了いたしました!!
昨日に引き続き、本日も沢山の
支配人様にお越し頂き、
ありがとうございました!!
引き続き、「Tokyo 7th シスターズ」を
よろしくお願いします!!#t7s #ナナシス pic.twitter.com/6EjqPam3HY
Tokyo 7th シスターズ 4th Anniversary Live -FES!! AND YOUR LIGHT - in Makuhari Messe Day2 に行ってきたのでそれについて。
今回の記事は演出やセトリ等ネタバレが含まれてます。ディレイビューイングが控えているので、気になる方は閲覧注意です。あとめっちゃ長い。
総評
未だにほとぼりが冷めていないので「これだ!!!」って言えないんだけれど、あえて言うならば
Tokyo 7thシスターズだからこそ魅せることができた最高の『エンターテインメント』空間
これほどまでの『エンターテインメント』を、まさかナナシスが見せてくれるとは正直意外でした。
所謂二次元アイドルコンテンツなんてのは何処まで行ってもエンターテインメントでしかなくて。描き方、魅せ方は変われど結局は歌って、踊る。エンタメでしかないんですよ。商業なんです。
Tokyo7thシスターズはこれまでの4年間、エンタメ性を削りに削り切っていたコンテンツで。二次元アイドルものである以上エンタメ性から決して逃れることはできないのだけれど、それでも足掻いて、藻掻いて、苦しんだ末にあるその瞬きに人間性を映し出してくれるコンテンツがナナシスで。
『誰かの背中を押すこと』
輝いてるアイドル達を見て、そこから何かをもらう受動的なものでは決してなく。
一人でもいいから誰かの心に入り込んで、その人の経験、生き方とリンクさせて、そっと背中を押してくれる。
主役はアイドルじゃなくて、アイドルを見ているこちら側なのがナナシスの面白いところだなぁと思います。描きたいものは『アイドル』ではなく、『人間』なんですよ。
今回の4thライブのパンフレットの茂木ポエムからもそのことが推察できます。
仕事現場での社会性うんぬんはともかく、「素」の要素が多いほど、
そもそもその成果物自体がエンタメになり得ないことが往々にしてあるからです。
自分は幸か不幸か物を作ってそれを生業としている人間です。
そしてこれも幸か不幸かですが、いつのまにかエンターテインメントに魅せられて、その仕事を望んだ人間です。
だから自分の「素」というものの価値を信用していませんし、
しかしながら「素」でしか込められない魂というものがあることも知ってきます。
ナナシスをエンターテインメントでありつつ、
商業サービスという衣に完全に包まれてしまわぬように作ってきたのも、
そんな理由があったりします。
(引用:Tokyo 7th シスターズ 4th Anniversary Live -FES!! AND YOUR LIGHT - in Makuhari Messe 公式パンフレットより)
一つの魂を極限まで鋭く細く削り、尖らせてきたナナシスだからこそ描けるエンターテイメントの形が今回の4thライブだったのかなと思う。
- FES!! AND YOUR LIGHT - のサブタイトルの通り、まるで、なんでもない日に、ふいに立ち寄ったお祭りのようなライブでした。
長いな!結論!
めっっっっっちゃ楽しかった!!!!!!!!!!
演出について
真っ赤な帽子を携えたサンタに思い焦がれていた、幼少期の白い粉雪舞うクリスマス前夜のような。淡い薄紅色の桜舞う季節、少しブカブカなおろしたての制服に裾を通した時のような。
何が来るのか。何が始まるか判らない。
ワクワクとドキドキが終始心を摑んで離さない、そんなライブだった。
公演が始まる前に、若王子ルイがライブ前恒例の注意喚起してくれたんだけど、その最後にこんな一言を漏らしてたんだよね。
「今日はセブンシスターズは出ないけれど…いや、今日出る彼女達はセブンシスターズの後輩とも言える。そんな彼女達なら、もしくは…?」(うろ覚え)
会場中の支配人一同。顔をキョロキョロと見合わせ、え?え!?一体何が起こるんです?!とどよめきが止まらない中、会場は暗転。そして爆音と共にライブが開始。
ほんっっっっと楽しい祭りの時間だった…終始ワクワクドキドキの連続で心臓が持たなかったです。
若王子の発言について詳しくは後述します。
また、今回は3rdライブの時とは違い、花道を無くしたメインステージのみ・・・かと思いきやゴンドラとバックステージを活用したまるでフェスさながらの演出が特徴的だった。
自分の席が1Fでたまたまゴンドラの通り道沿いだったので演者との距離が近かったのは本当によかった。正確には近いから良かったのではなく、『あぁ、今この瞬間の彼女達は、本当にどうしようもなくアイドルなんだ。』という現実を目の当たりにできたからだ。
そこには、2034年で活躍する彼女達がいて。
この瞬間は、この時間だけは僕は2034年にいて。
『アイドルなんて大嫌い!』と叫んでいた彼女が、向日葵のような笑顔で手を振ってくれている。そう思うと、僕は涙がどうしても止まらなかった。ありがとうTokyo7thシスターズ・・
トロッコが少し早かったとか、バックステージは席によっては見えずらかったとか、不満も無いわけじゃないけれどフェスにちなんだ最高の演出だったとおもう。
セトリについて
今回のセットリストはこちら
- MELODY IN THE POCKET/777☆SISTERS
- STAY☆GOLD/777☆SISTERS
- snow in “I love you”/777☆SISTERS
- PUNCH'D RUNKER/The QUEEN of PURPLE
- Clash!!!/The QUEEN of PURPLE
- Fire and Rose/The QUEEN of PURPLE
- Winning Day/KARAKURI
- AMATERRAS/KARAKURI
- B.A.A.B/KARAKURI
- -Zero/KARAKURI
- アイコトバ/Ci+LUS
- シトラスは片想い/Ci+LUS
- SHAKE!!〜フリフリしちゃえ〜/はる☆ジカ(ちいさな)
- ハネ☆る!/はる☆ジカ(ちいさな)
- SHOW TIME/CASQUETTE'S
- マスカレード・ナイト/CASQUETTE'S
- ひまわりのストーリー/Le☆S☆Ca
- タンポポ/Le☆S☆Ca
- Behind Moon/Le☆S☆Ca
- YELLOW/Le☆S☆Ca
- 14歳のサマーソーダ/サンボンリボン
- セカイのヒミツ/サンボンリボン
- SAKURA/WITCH NUMBER 4
- 星屑☆シーカー/WHICH NUMBER 4
- Crazy Girl's Beat/4U
- TREAT OR TREAT?/4U
- パフェ・デ・ラブソング/4U
- プレゼント・フォー・ユー/4U
- Lucky☆Lucky/4U
- KILL☆ER☆TUNE☆R/777☆SISTERS
- 僕らは青空になる/777☆SISTERS
- FUNBARE☆RUNNER/777☆SISTERS
- スタートライン/All cast
全部の曲、全部話したいことがあるから各ユニットごとにつらつら述べます
777☆SISTERS
『MELODY IN THE POCKET』のイントロが始まった瞬間の彼女達の表情を見たとき、安堵感で全身が弛緩し涙がこぼれ落ちた。ステージには他の誰でもない「彼女達」がいて。
武道館公演を経た彼女達が魅せてくれるステージは圧巻の一言だった。幕張という大舞台にも関わらず本当にリラックスしきった表情で。会場中に笑顔を咲かせる彼女達は『アイドル』でしかなくて。
かつてセブンシスターズに憧れたように。かつて誰かに背中を押してもらったように。今度は自分達がそうなるのだと。
確固たる『意志』を心に宿した彼女達が魅せるパフォーマンスは最高のエンターテインメントでした。
個人的に中島唯さんが、終始ヒメと重なって見えて仕方がなかった。キャラが憑依しているというよりかはそこに野ノ原ヒメがいたんだよ・・すげぇことだよほんと・・
今回は中島唯さんだけじゃなくて、他の演者様方全員が本当に777☆SISTERSそのものだった。
過去の公演では正直、篠田みなみさんしか重なって見えたのは居なかったんだけれども。
武道館公演を経て、確かな『自信』と揺るがない『意志』を持った彼女達の背中にはセブンシスターズを思わせるカリスマ性が付いていて。
1st liveのH-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!とかEPISODE.3.0-001「いつか青空を超えて」のコニーさんのセリフ*1etc.
彼女達のここまでの歩みに思いを馳せていたら、涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまっていた。エンターテインメントで感情をぶん殴ることができるナナシス、本当に強いとおもう。
あ、あと久々にライブでスノインを聞けたけどやっぱり最高幸福ソングでしかなかったなー。最初のゴンドラ演出が確かこれだったんだけど心の中がありがとうで埋め尽くされてたので感想もありがとうしか出てこない。本当にありがとう777☆SISTERS、、、、
後半3曲について、以下の各ユニットのコメント見てもらえれば分かるけれど、ひたすら涙しっぱなし、笑顔になりっぱなしのフルスロットル休憩無しだったので最後3曲も相変わらず涙でぐちゃぐちゃだったし、楽しかったしで本当に記憶がない…
BD出たらちゃんと確認します…ぐすん
The QUEEN of PURPLE
彼女達のパフォーマンスの時間は、「あぁ、やっぱりライブってのは生ものだよな」と激しく実感した時間だった。
登場とともに激しいレーザー光と爆音のギターが流れたんだけれど、聞き慣れないイントロが流れて会場中がどよめいてて。
その刹那、爆炎とともにPUNCH'D RUNNERが流れた時には「やったーーーーーーーーー!」と絶叫してしまった。隣の支配人さんびっくりさせてごめんなさい。
大気を震わせかき鳴らす轟く爆音のギターリフと、眼球を焦がすかのようなギラつくレーザー光が、彼女達の絶唱と共にセブンシスターズの曲を、The QUEEN of PURPLEの始まりの曲*2を歌う姿はまさに世代を越えた"繋がり"を感じさせる『バンド』でした。
脳神経はショートし雑多な思考は彼方に吹き飛び、心臓の鼓動は熱く速く、身体中を巡る血が燃え滾っていくのを感じた時。
腕を青空よりも高く上げ、身体は自分の意志と無縁に踊り狂い、関節域を超える勢いで首を振る限界オタク僕が出来上がってた。隣の支配人さんびっくりさせてごめんなさい。
先述したルイ王子の発言はこれですね。ほんっっっっと、最高でしかなかった。SNSやらを見ると、「歌が完璧じゃなかった」とか、「歌詞が違う」とかそもそも「セブンシスターズを歌うなよ」とか。
「うるせーー!--!!知らねーーーーー!!!」
しかない。彼女達が魅せてくれた最高ロックに魂をぶん殴られた僕がいるだけで勝ちだ。本当によかった………。QOP単独絶対いくって決めました。本当にありがとうQOP。衣装えっちでした。
2019年5月『The QUEEN of PURPLE』1stミニアルバム発売
さらには、
2019年6月9日Zepp Tokyo、6月14日Toyosu PIT『The QUEEN of PURPLE』単独ライブ開催
が決定してるので、みんな絶対買って行こうな!!
KARAKURI
2ndライブ以来の久々のステージだったけれど、微塵もそれを感じさせない、圧倒的カリスマ性を放つ圧巻のパフォーマンスだった。
個人的な意見なんだけれど、一般的なアイドルソングとはかけ離れてるKARAKURIの楽曲はどうしても音の『ノリ方』が異なるとおもっていて。果たして、皆KARAKURIの曲を楽しめるのかな…。みたいな激寒超上から目線の余計な杞憂が脳をチラつくんだけれども。
ハッと気が付くと踊り狂ってる僕がいました。甘くも鋭い秋奈さんの歌声とバンドアレンジされたEDMサウンドに酔いしれて、快楽に犯された空間だった。
あと再三言われてるけどMCのときのポンコツっぷりがほんとだいすき。
歌ってるときのクール秋奈さんからとのギャップがかわいくてしんどかった。
なんと今回、ライブ衣装を一部自作した(確かイヤリング?だった)らしく、なんというか、KARAKURI本人でもあり、KARAKURI二人の親友のような。。
ナナシスというコンテンツを愛して、大事にしているのがすごく伝わってきて、ありがとうとしか感じなかったんだよ・・・本当にありがとう・・
今回初披露の『Winning Day』と『AMATERRAS』なんだけれど、正直マジに記憶がない。気持ち良すぎて。音に酔いしれる快楽で脳が犯されていたのでBD化したらちゃんと見返したい。
Ci+LUS
もう、なんといいますか。ぽえきゅんの暴力をこれでもかと見せつけられた時間だった。
曲が可愛いのは勿論なんだけれど、優しくもどこか儚い言葉選び、可愛いくも艶っぽい仕草、柔和なのに何処か凛とした表情。
可愛さとコケティッシュな可憐さが同居するような。
可愛いだけじゃ収まらない、たくさんの魅力が詰まったユニットだと改めて思い知らされた。というか演者様二人が強い。二回目のステージとは思えない場慣れしたパフォーマンスが支配人をぽえきゅんの虜にしてた。
個人的にマコトがステージに立っているという事実だけで泣きそうになってた。
Ci+LUSエピでもあったけれど、男性恐怖症で。心優しい彼女は、心に傷を抱えていて。
支配人と出会って、その傷がゆっくり塞がり始めたんだよね。
はじめは支配人のためだけにアイドルをしていくわけだけど、ナナスタのみんなと出会って、ぶつかって、乗り越えて。
少しずつ自分の世界を広げていったマコトは、お兄ちゃんのためだけではなく誰かに届きますようにと歌えるようになったんだよね。
アユムも、誰かの幸せを願うことができる本当に心優しい女の子で。
「恋に恋するふたりは、まだシトラスの香り」
自分のために始めたはずなのに、いつの間にか誰かの幸せを願ってるふたり。
世界を幸せにできるのは彼女達Ci+LUSなのかもしれない…なんてライブ中に思ってた。
ゴンドラ演出で近くに二人が来たときは周りの目も憚らず叫んでた気がする。
2019年3月『Ci+LUS』2ndシングル発売が決まっているのでみんな絶対買おうな!
はる☆ジカ(ちいさな)
強い。本当に強かった。
このコンテンツ内で、一番アイドルアイドルしてるユニットなのでは?と思うくらい強い。アイドル力というパラメータがあるならばアイドル力SSS+って感じだ。振り切れてる。
両曲とも、最高にオタクがノリやすい曲とでもいうか、オタクとアイドル間のコミュニケーションツールとしての、コールアンドレスポンスがめちゃくちゃしやすい。楽しい。振り可愛い。曲可愛い。衣装可愛い。役満。
しかも、登場時、正面ステージからではなく、バックステージから登場してきたのは本当にびっくりした。
だけどね、自身の席の関係上、バックステージのほうが全然見えなかった。
米粒が動いてる的な感じだったのでBD化したら確認したいな。
はる☆ジカ(ちいさな)はナナスタで行われたクリスマスパーティーをきっかけに結成されたユニットで。まるで生まれたてのような、初心者姉妹として(ちいさな)が付けられてるんだよね。
全日本弟をダメにする姉ランキングNo.1の春日部ハルと。
魚屋の娘なのに生魚食べられないおでこ可愛い晴海カジカによる、
ナナシス内での立ち位置をエンターテインメントに振ってるユニットなので今回のライブには一番映えていたんじゃないかなーとおもいます。
ちいさな姉妹最高でした!!
CASQUETTE'S
はい、きましたねキャスケッツ。
正直ね、このユニットが発表されたときには「う~~~~~~ん、寄せ集め感拭えないなぁ」なんて無粋なことを思ってたわけです。
メインEPISODE準拠で深い関わりもそれほどなかった彼女達ですし、なんとも言えない気持ちを抱えたんですね。
"お姉さん"ユニットとして活動するわけなんですが、ライブパフォーマンスを受けてこの考えを改めました。
うん。推せるわ。
そもそもね、アイドルコンテンツで年増(失礼)って、いいのか?なんて疑問が最初から自分にあったんですよ。アイドル物と聞くとどうしても、『青春』『成長』『輝き』みたいなものから10代の女の子を強く強く連想させるんです。
アイドル物においてのアイドルの定義について自論を述べると、(大人からしたら)もう取り戻せないあの頃の輝きを投影する偶像がアイドルなのかなと思っていて。同じ人間であるという共感と、アイドルとファンであるという確かな境界。その越えられない境界に夢や希望を託してしまう。一緒に背負ってくれるんですよ、アイドルって。そしてアイドルは最高のパフォーマンスで僕たちに笑顔を返してくれるわけで。
そういう考えなので、アイドル物のお姉さんに対し、アイドルコンテンツを形作るキャラクターとして"いる"必要があるのか?なんて思ってたんです。(お姉さん好きの方が見てたらほんとごめんなさい。)
CASQUETTE'Sのパフォーマンスを受け、それに一つの答えが出たんです。
『誰かの背中を押すこと』
これがナナシスの、アイドルコンテンツとしてのナナシスのテーマで。
何か大きな夢を叶えようとかではないけれど、1人でもいいから誰かの心の中に入り込んで、その人の経験、生き方とリンクさせて、背中を押してあげる。それは、単純なことで小さなことかもしれないけれど、一番確実な、現実的な、温かいものだと思うんです。
頑張れとかではなく、一緒に手をとりあって、僕らで始めてくれるのがナナシスで。
茂木監督曰く、
「誰かの背中を押すこと」はきっとアイドルでなくて「誰にでも」出来る。
僕たちがここにいる理由はそれ以外になくていい。
だからこれはきっと「アイドルの物語」ではなくて「人間の物語」
ハッとしました。彼女達には彼女達だけの物語があるわけです。
少女には少女の物語が。
お姉さんにはお姉さんの物語があると。
無垢な少女らが経験していないことも経験してるわけです。お姉さんだから。
そして、アイドルはアイドルじゃなくてもいいんですよ。
淑女たちの強さと可愛らしさを織り込んだCASQUETTE'Sの魅力は、少女よりも一歩先を行くお姉さんだからこそ、表現できるのかなって。
彼女らのパフォーマンス中、彼女たちの人生(ゲーム内EPISODE)に思いを馳せていたら、自然と涙が頬を伝っていました。
気付いたら曲のこと全然触れてないけど、本当に本当によかったんだよ…
彼女達の"物語"は始まったばかりなんだよね。少女達にはまだきっと少し早い、お姉さんの物語をこれからも描いていってほしい。
チャチャ様の声ほんとよかった…すき…
Le☆S☆Ca
初登場が2ndライブだったのだけれど、その頃の"初々しさ"みたいなものは良い意味で本当に無かった。
始めてメインメンバー以外から結成されたユニットで、『十代の甘酸っぱい青春の日々』をテーマに活動してる彼女達はある種の"初々しさ"が魅力のひとつで。
Le☆S☆Caはこれまで現実と理想の乖離に苦悩する歌を歌うことが多いです。
楽曲『yellow』においても「自分なら羽ばたけるはず」といった捨てきれない理想への願いと、「未だ羽ばたけていない自分」という現実のギャップに苦悩する様子が垣間見えます。
彼女達はそれでも、「自分のちっぽけな背中を信じていたい」んですよ。
少女の持つ脆弱性と、か弱い力強さみたいなとこにLe☆S☆Caの魅力があるわけです。
しかし、メモリアルライブでも披露した『ひまわりのストーリー』。
キミはいつかの少年
頬濡らして旅に出ようと靴を磨いた
もう一度 翔ぶ気なら
青空まで連れてってあげる
誰でもないキミ探して
入道雲に届きそうさ
ためらいなど吹き飛ばして
大空に浮かべよう
苦悩から一歩前へ足を踏み出して、僕たちと共に歩んでくれる彼女達の姿がそこにはあって。
か弱い少女が、それでも僕たちの背中をそっと押してくれることに今回の4thライブでも涙してしまいました。
等身大の女の子達が今後どんな景色を見せてくれるのか、本当に楽しみです。
何が言いたいって、2019年4月『Le☆S☆Ca』待望のニューシングル発売が決まってるのでみんな絶対買おうな!!!!
サンボンリボン
ナナシスのライブって、終演後の舞台裏映像*3がモニターに流れるんですよ。
でね、サンボンリボンがじゃんけんを仕掛けてきまして。僕グーを出したんですけど、サンボンリボンは三人揃って指をサンボンを出してきたわけですよ。
この瞬間僕はTokyo 7thシスターズに負けました。勝てませんわ、ほんと。だいすき。
WITCH NUMBER 4
もう~~~~~~ほんまこのユニット~~~~~~~~~!!!!!(歓喜)
只々、会場全体が最高幸福空間と化してた。快楽物質に脳が犯されて絶命するかとおもった。小学生並みの感想しか出てこないけれど、2034年で活躍する四人の怪盗は確実に僕支配人の心を盗んでいたわけで。
初っ端、『ラバ×ラバ』来るやろなと高を括っていたのですがまさかの『SAKURA』。
会場が淡いピンクに染め上げられたときやったーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!と叫ぶ限界僕がいました。3rd以来のSAKURAだったのでテンションが閾値を遥か越え、臨界点をも安々と飛び越えていった。ほんと無理。隣の支配人毎度ごめんなさい。
アニメ・ゲームが大好きな"100ka"
ニコ様が大好きな"R0na"
アイドルが大好きな"HAL"
豆腐が大好きな"HI-ME"
ベクトルが違えど『大好き』という感情の元集まった4人が生み出す空間なんて、最高幸福空間になるの至極当然なわけだなぁと。
『星屑☆シーカー』の曲中なんて、ドーパミンで溺れ死ぬかと思った。無理。
ゴンドラ演出があったわけだけれど、ゴンドラ上から、HALちゃんが最高笑顔で僕に手を振ってくれた事実、命を取り留めただけで奇跡だと思う。きっと永久に忘れない、素敵な時間でした。本当に、本当にありがとう。
4U
は~~~~~~ほんまこのユニット~~~~~~~~~~!!!!!(2回目)
ナナシスライブにおいて4Uを4Uたらしめたのは何と行っても3rdライブ以降でしょう。彼女達最大の魅力は何と行ってもエンターテイメントにストイックなところなんですよ。どこまでも。
きっと、誰よりも誰よりも『Tokyo 7thシスターズにおける4Uの存在意義、パフォーマンス』に関してどこまでも追求を重ね、絶っ対に妥協しない。足りない部分があれば全部努力で埋める。
「オリンピック選手かよ」って言いたくなるくらいとにかくストイックで。でも決して暑苦しいなんて思うことはなく、彼女達はどこまでいっても笑顔なんです。一番4Uを楽しんでるのが彼女達自身っていうのがいいところだなぁって。
他の演者様方にそれがないということでは決してなく、4Uの場合は"発信"も上手いんですよ。自分らの"魅せ方"を解ってるんです。くぅ~にくいっ!!
そんな彼女達のパフォーマンスが、最高以外にありえるわけもなく。
会場の空気感をすべてを一瞬で4U色に染めてしまうんです。
支配人から4人目のメンバーへと七変化した僕らは、
奏でられる音楽に身を預けて、身体を揺らし、痛快なほど最高の笑顔を浮かべていたとおもいます。
それは本当に、なんでもないお祭りの日のようで。
4Uに関しては個人的にも思い入れが強くてですね。
一度、僕自身があることで人生に悩み、閉鎖的な日々を過ごしていたことがあって。
それこそ、その時は人生のどん底にいるようで。
劣等感に激しく苛まれ、光なんて、何も見えなくて。
そんなときに、出会ったコンテンツがナナシスでした。
なんとなく見たEPISODE.4Uで、僕は九条ウメに深く、深く感情移入をして。
EPISODE.4Uにおいて、『セブンシスターズ』によって救われた九条ウメは、『セブンシスターズ』によって人生のどん底を味わうことになって。4Uとセブンシスターズって切っても切れない因縁みたいなのがあるんです。"永遠の輝き"信じていたのに、自分を人生のどん底に叩き込んだ七咲ニコルに対し、セブンスシスターズに対し、アイドルに対し激しい憎悪を孕んでいって。
決して廃れることのない、『永遠』に重きを置く九条ウメに対し、
例えいつか消えゆく光だとしても、その時だけでも、誰か一人だけでも届けばいいと、
輝ける『一瞬』の素晴らしさを春日部ハルが思いをぶつけることによって九条ウメの心をゆっくりと溶かしていったわけです。
少しずつ、少しずつ。
セブンスシスターズを受け入れることができた九条ウメが出したシングルは『Lucky☆Lucky』。
それはきっと君のもの
等身大の自分でいれたなら
大好きがわかるでしょ?
借り物のHappyはいらない
この世界は君のもの
「今日☆次第」を胸に秘めたなら
心はもう自由ね!
生まれた意味なら教えてあげる
ナンテネ☆
ずっとひとりぼっちで、人生のどん底にまで叩き落とされた彼女が、
一歩足を踏み出して、一点の曇りもない幸福な楽曲を歌ってる事実に僕は涙を耐えられませんでした。
どん底にいた彼女が、同じくどん底にいる"劣等感に激しく苛まれている僕"に対し、ウジウジ悩むこと、身体が動かないこと。それも「全部等身大のあなただよ」って伝えてくれて。
『等身大の自分』でいられたなら、『等身大の自分』を愛せたらきっと幸せだよって。
僕個人の経験にリンクさせて、優しく背中を押してくれた4Uの三人には本当に感謝してもしきれないです。
EPISODE.4U、本当に良くて、主人公の4Uとナナスタメンバーはアイドルなんだけれどあくまで描いてるものはセブンスシスターズに影響を受けた他人の物語なんだよね。
冒頭でも述べたけれど、描いてるのは『アイドル』の物語ではなく直接的に、間接的にアイドルに影響を受けた様々な『人間』の物語であるところがナナシスの良いところ…って話をしたいけれどいよいよライブの感想じゃなくなってきたのでこの話はまた次回。
4U最高でした!!!!
All cast
アイドルってなんだろうってよく思うんです。
元気付けてくれるもの。支えてくれるもの。笑顔にしてくれるもの。
千差万別、人によってそれは様々だと思うのですが、彼女達、"Tokyo 7thシスターズ"の一つの『アイドル』の形、到達点こそが『スタートライン』なのかなって。
どこかの誰かと 比べたりすんなよ
君が君であること 空に歌えばいい
いま 心で揺れた花
いつか君に 届けてみせるから
そうだ 何度も描いた線
残ってるから迷わないんだ
ほら 君へと続いてる
涙が目印さ
転んでも(何度でも)
きっとまた(会いに行くよ)
明日へのスタートライン
他の二次元アイドルコンテンツに比べると決してメジャーではなく、一歩ずつ、着実に歩みを進めてきたコンテンツで。一歩一歩、本当に少しずつだけれど彼女達と共に歩んできた先に到達した新たな『スタートライン』。
彼女達の歩みはこれからもまだまだ続いていくわけで。その隣に、きっと僕も並んでいられたらいいなと、未来に思いを馳せた最高の時間でした!
本当にありがとうTokyo 7thシスターズ!!!!
おわりに
見返してみると全然ライブレポとして機能してない拙文だなぁと悲しくなったんですけど、好きなものを好きって言えたので良しとします。雑感だしね!(逃げ)
ナナシスは自分の魂を激しく揺さぶったコンテンツで、僕を救ってくれた"恩人"でもあるんです。
誰かの背中を押す。
それって、簡単なようでとても難しいことで。
彼女達に救われたように、いつか僕も、誰かの光になりたいと、強く思います。
気が付いたら1万字程度つらつらと駄弁ってしまったわけだけれど、ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
何が言いたいかって、
中島唯さん、ご結婚おめでとうございます!!!!!!!!!!!!!!!
そして、いつも応援してくださっているみなさま、お世話になってるみなさまにご報告です。
— 中島 唯 (@yui_okasi) 2018年12月29日
私事ではありますが、先日入籍いたしました。
お相手は、一般の会社員の方です。
これからも精進して参りますので、よろしくお願いいたします!
『SSSS.GRIDMAN』で魂が打ち震えた話
いやーーーーーーーーーーーーSSSS.GRIDMAN、最っっ高っでしたね!!!!!!!
特撮系詳しくないので原作の電光超人グリッドマンは見たことなかったんですがすごく楽しめました。原作オマージュみたいな演出が未見でも多々見受けられたので原作ファンの人はほんとうに本当にたまらなかったんじゃないかなー。
この流れで1クールでいけるのか??って心配してたんですけど伏線は大体回収してきれいに収まりほんとよかったです。
特撮系って、小さいときに見ていたくらいなので若干偏見なんですが、『立ち向かって、へし折られて。それでも、きっと立ち上がって』の話だと思っていて。
七転八起の精神が根幹だと思うんですよ。
僕が幼少期に見てた星獣戦隊ギンガマンなんて第1話で主人公死ぬんですよね。悲しみの中に残された仲間達が、それでも立ち上がって敵に挑んでく姿勢は小さいながらよく覚えてます。(実は主人公が生きてて共闘する胸熱展開もあった)
全身全霊、己が魂を賭けて強大な敵に立ち向かってくヒーロー。
でも現実は人間関係やらお金、仕事や理想、自分。もう死ぬまで悩みって尽きないんじゃないか???って思うくらい、めんどくさーいことがおおいですよね。
作品を通して、そんな現実をぶち破る希望を、勇気を示してくれるのがヒーローなんじゃないかなって思います。
作品の中だけじゃなくて、現実世界の僕らのことも救ってくれるんですよ。
『SSSS.GRIDMAN』の根幹はそこに焦点を当てた、救済の話でした。
特撮的熱量×アニメ的演出で面白くないわけないんですよ。
ただ正直、アカネの心情の変化が1クールでは若干浅いかなとかと思ったけど。
まあ、とりあえずこの特撮の話を念頭に置いた上、
改めてSSSS.GRIDMANのOP見てくださいよ。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーエモーーーーーーい!!!!!!!!!
特撮の良さがアニメとなって全面的に出てる最高OPだなぁって毎回思ってました。
歌詞もいいんですよね。
目を醒せ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ!
これは訓練でもリハーサルでもない
覆われた日常というベールを勢いよく剥がしたら
闘いの鐘が鳴る
あの頃のように同盟を結ぼうか
君を退屈から救いに来たんだ!
初っ端の"目を醒せ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ!"ってのが本当にいい。
侵略されてるぞ!って表現、本当にダサかっこいいし特撮の持つ空気感を上手く捉えたセンテンスだなぁっておもう。
『UNION』の歌と作曲を担当した大石昌良さんのtwitterもいいんですよ。
UNIONは僕を含めて「あの頃ヒーローに憧れたすべての大人たち」へ向けて放ったドキュメントソングです。退屈から救われたのはアカネではなく、もしかしたら我々自身かもしれませんね。グリッドマンの名の下に集まったすべての「日常」に同盟を!これからも共に戦いましょう!#SSSS_GRIDMAN
— 大石昌良【オーイシマサヨシ】 (@Masayoshi_Oishi) 2018年12月23日
良すぎるぞーーーーーー良すぎないかーーーー
あと全編を通して演出が本当に良かったなー。
声優さん達の演技も、とにかく、自然で、キャラではなく人間だった。
朝、駅にいるJKこんな感じで喋るわってくらい自然な感じ。
とにかく、演出に嘘がなくて。学校の描写なんてとくに良い。
教室で談笑を交わす生徒
始業を告げるチャイム
飲みかけの牛乳パック
誰も通らない階段の踊り場
呼び出しの放送
体育館を鳴らすスポーツシューズ
"アニメ的嘘"が全く感じられない風景描写、自然体の人間像。
ナチュラルな描写の中に、"アニメ的嘘"グリッドマンの存在がいることによって生じるアンバランスさが際立つ演出構造がよくて。なんかこう、現実のことのように感じるんですよね。嘘なのに。
急に僕らが生きる世界にウルトラマンが現れたらめっちゃ困惑しません?え?なんで?みたいな。
その困惑を疑似体験してるかのように錯覚するリアルな演出が没入感を生み、あららあららと12話まで見てしまいました。
______________
この物語、グリッドマンが怪獣を倒してやったーなんて話なんかじゃあなくて。
一人の、卑怯で、臆病、ずるくて弱虫。心を閉ざしてしまった"なんでもない"少女が救われる話で。
そんな弱さを持つ人が、何でも出来る世界に来てしまったんですね。
本当の自分から離れ、神となった世界では賞賛され、愛されてすべて肯定される。
万能感は心地よいが、何処か虚しく、寂しい。
新条アカネは、きっと、自分自身で。
心にどこか弱さを抱えた視聴者自身で。
ああだったらいいのに…
もし、こうなっていたら…
理想に夢を膨らませるも、過去に捕らわれ、現実とのギャップに打ちのめされてる僕自身の物語でもあるんですよ。
そんな彼女の心の殻をぶち破ったのはグリッドマンいわば、僕たちに勇気を示してくれる、僕たちだけのヒーロー。
グリッドマンの、
響祐太の、
グリッドマン同盟の。
彼らが差し出す手を掴みながらも、なんとか自分の足で立ち上がる物語なんです。
エモーショナルすぎない??????
冒頭にも述べたけど、現実をぶち破る希望を、勇気を示してくれるのがヒーローで。
なんでもない、只、弱さを抱えた女の子が、
その勇気を貰い、立ち上がり、弱さを認め、過ちを悔いながらも1歩踏み出したときに僕オタクくんは無事死にました。
誰もが人知れず弱さを抱えながら生きてるからこそ、SSSS.GRIDMANがウケたのかななんて。
あと登場人物だとグリッドナイトことアンチくんがめっちゃ好き。
ナルトみたいに他人に何と言われようが自分の信念を絶対に曲げない姿勢。
最終回もめちゃくちゃかっこよかった。
人生は自分が主役なんですよ、やっぱり。他人になんと言われようが。
自信もって生きたいよね。
この、男として、人間として。作品を通して、忘れていた何かが、熱を帯び身体中を巡り脳に収束する感覚、本当にすき。
新条アカネは一歩踏み出した。
今度は僕たちの番だ!いくぞ!アクセスフラーッシュ!!
最後に。
僕を、退屈から救ってくれてありがとう。グリッドマン。
森見登美彦が綴る怪作『熱帯』雑感
15年程前のことだ。小学生であった僕は、身体が弱かったこともあり、“いじめ”を受けていた。
いじめにより、自尊心を持てずにいた年端もいかぬ少年の心を癒してくれたのは、親でも、友でもなく本だった。
図書室に一人で足繁く通っていた僕は同年代の子達が読んでいたちびくろサンボや、かいけつゾロリにはすこし冷めた目で見ており、高学年が読むような小説に手を出していた。
宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』や森絵都の『カラフル』なんかをパラパラと流し見ては
「小説なんて難しいものを読んでいる僕はすごいんだ」と同級生達に対し、浅いマウントを心の中でとることで自己を保っていたものだ。
ある日、図書室の職員である艶やかな黒い髪をした女性から声を掛けられたことがある。よく本を借りていたから顔を覚えられたんだろう。
「この本、読んでみない?面白いよ」
彼女から渡された本はミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』であった。
あかがね色の絹でできた装丁で、表には二匹の蛇が互いの尾を噛みウロボロスの輪が形成されている。
その輪の真ん中にははてしない物語と刻まれてる。
その表紙に取り憑かれたように魅せられた僕は、家に帰りなり日々の鬱憤をあてるが如く、貪るようにそれを読み耽った。酷く衝撃的な本であった。自分が小学生であることも、人間であることも忘れた。
自分と、他人と。
実在と、非実在と。
現実と、虚構と。
読み進めていく度に全てが混ざって、溶けて、自分が此処ではなく他の天体に実在しているような、妖美で魔術的な本であった。
自分が小説に嵌まったのは間違いなくこの本との出会いがきっかけであると思う。
前置きが長くなったが、本作を読了した後も“同じような”感覚に陥った。
本作もはてしない物語と同じく、所謂メタフィクション的な本だ。というよりは、小説についての小説とでも云うべきだろうか。
「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」
誰も結末を知らない幻の小説『熱帯』を巡って物語が展開される本作『熱帯』。
熱帯の中に熱帯が存在しており、さらには作中の小説内の登場人物がまた別の物語を語って…と、話は物語の奥へ奥へと進んでいく。現実の境界が溶けていき、自分が果たして現実に存在してるのか、今もあの『熱帯』の中に自分が存在しているのではないかと疑心暗鬼に囚われる。
読後して尚、足場失ったかのような不安と焦燥に駆られる中、あの鮮やかな熱帯の風景を今でも思い浮かべることができる。
鮮やかな南の島の情景が目にちらついた。
眩しく光る白い砂浜、
暗い密林、
澄んだ海に浮かぶ不思議な島々。
頬に吹き付ける風の感触さえ思い出せそうな気がする。
見る物を魅了する濃密な構成と巧みに散りばめられた珠玉の技術がこの1冊に詰まってるとおもう。
森見登美彦が放つ平成最後の“怪作”としか云いようがない。
ほんと面白かったー!
また時間があるときノートを取りながら読み直します。次はフーガはユーガだ〜〜。
全年齢向けおねショタ映画『ペンギン・ハイウェイ』の所感
森見登美彦原作、石田祐康監督作品『ペンギン・ハイウェイ』を鑑賞してきました。
Twitter上では「全年齢向けおねショタ」「おっぱい」などと評されているが、僕ら年上巨乳お姉さん大好き侍オタクだけに限らず一般層、ファミリー層からも一定数の評価を獲得している。
おっぱい映画とも評されているこの映画の魅力は何なのか?
ペンギンと、お姉さんと僕と。SF(すこしふしぎ)チックな出来事と生気に満ち溢れた人物達が織り成すこの物語を、主観が入りまくった拙文で書き綴ってみたい。備忘録がてらね。(ネタバレはないです)
本作のあらすじはこう。
小学四年生の少年アオヤマ君は、世界について学び、その学んだことをノートに記録する。
お利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているか、見当もつかない。 そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”と仲がよく、“お姉さん”はオトナびた賢いアオヤマ君を、 ちょっと生意気なところも含めかわいがっていた。
そんなある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、 いったいどこから来てどこへ行ったのか...。アオヤマ君はペンギンの謎を解くべく研究をはじめるのだった。
そしてアオヤマ君は、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。 ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。
「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」
“お姉さん”とペンギンの関係とは? そしてこの謎は解けるのか?少し不思議で、一生忘れない、あの夏の物語。
まず語らなねばならないのはお姉さんの「おっぱい」についてだ。
この映画を一言で表現してくださいと誰かに頼まれたのならば、なんとか一言で語ろうと脳内で激烈な情報処理が行われる。その上で、「そうだなぁ、おっぱい。だね。」と出てしまうだろう。これは必然だ。
主人公の小学生四年生、アオヤマくんの目線から見ることができるおっぱい群。
寝転んだお姉さんのおっぱい。椅子に腰掛けたお姉さんのおっぱい。自分の顔くらいに大きいお姉さんのおっぱい。おっぱい。おっぱい。
作品の要所要所でおっぱいにまつわる言動、描写が出てくるからだ。
しかしだ。この作品は「おっぱい」を性的なエッセンスとして一切消費していない。むしろ、難解で、崇高で。憧憬の対象として描写しているところが、いい。
この作品で提示されるおっぱいの本質は性ではなく憧れなのだ。それは、小学生のアオヤマくんから見た憧れの象徴だ。大人への、未だ解明されてない謎への、まだ見ぬ世界への、憧れなんだとおもう。
そう、この作品は決しておっぱい映画と一言で括ることはできない。
誰もが幼少期に持っていた大人への憧れを。路地裏へのワクワクを。僕たちだけの秘密基地を。
世界への希望に満ちた映画が本作「ペンギン・ハイウェイ」なんだとおもう。
やっぱね、ジュブナイル映画ってこういうのだよなーーーって感じ。
決して謎の全てが解明したわけではないのだけれど、それでいいのだとおもう。世界は謎に満ちてるからこそ美しいのだろうね。
子供の頃誰しもが持っていたまだ見ぬ世界へのワクワク、大人への憧れ。未来を悲観せず、希望を持って進むこの道こそがペンギンハイウェイなのだと言われてる気がした。
人生に対する圧倒的肯定。
これこそがこの作品の最大の魅力だとおもう。
こんなことを長ったらしく説明するのはすごーく大変かつ、ネタバレを避けると「おっぱい」の一言に落ち着くのは仕方ないのかなあとおもった。おっぱいって肯定力あるしね。