青空の果てまで

オタクの備忘録

全年齢向けおねショタ映画『ペンギン・ハイウェイ』の所感

f:id:mitarashi077:20180822024452j:image

森見登美彦原作、石田祐康監督作品『ペンギン・ハイウェイ』を鑑賞してきました。

 

Twitter上では「全年齢向けおねショタ」「おっぱい」などと評されているが、僕ら年上巨乳お姉さん大好き侍オタクだけに限らず一般層、ファミリー層からも一定数の評価を獲得している。

 

おっぱい映画とも評されているこの映画の魅力は何なのか?

 

ペンギンと、お姉さんと僕と。SF(すこしふしぎ)チックな出来事と生気に満ち溢れた人物達が織り成すこの物語を、主観が入りまくった拙文で書き綴ってみたい。備忘録がてらね。(ネタバレはないです)

 

 

本作のあらすじはこう。

小学四年生の少年アオヤマ君は、世界について学び、その学んだことをノートに記録する。

お利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているか、見当もつかない。 そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”と仲がよく、“お姉さん”はオトナびた賢いアオヤマ君を、 ちょっと生意気なところも含めかわいがっていた。

そんなある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、 いったいどこから来てどこへ行ったのか...。アオヤマ君はペンギンの謎を解くべく研究をはじめるのだった。

そしてアオヤマ君は、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。 ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。

「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

“お姉さん”とペンギンの関係とは? そしてこの謎は解けるのか?少し不思議で、一生忘れない、あの夏の物語。

 

 

まず語らなねばならないのはお姉さんの「おっぱい」について

 

この映画を一言で表現してくださいと誰かに頼まれたのならば、なんとか一言で語ろうと脳内で激烈な情報処理が行われる。その上で、「そうだなぁ、おっぱい。だね。」と出てしまうだろう。これは必然だ。

 

主人公の小学生四年生、アオヤマくんの目線から見ることができるおっぱい群。

寝転んだお姉さんのおっぱい。椅子に腰掛けたお姉さんのおっぱい。自分の顔くらいに大きいお姉さんのおっぱい。おっぱい。おっぱい。

 

作品の要所要所でおっぱいにまつわる言動、描写が出てくるからだ。

 

しかしだ。この作品は「おっぱい」を性的なエッセンスとして一切消費していない。むしろ、難解で、崇高で。憧憬の対象として描写しているところが、いい。

 

この作品で提示されるおっぱいの本質は性ではなく憧れなのだ。それは、小学生のアオヤマくんから見た憧れの象徴だ。大人への、未だ解明されてない謎への、まだ見ぬ世界への、憧れなんだとおもう。

 

 

そう、この作品は決しておっぱい映画と一言で括ることはできない。

 

誰もが幼少期に持っていた大人への憧れを。路地裏へのワクワクを。僕たちだけの秘密基地を。

世界への希望に満ちた映画が本作「ペンギン・ハイウェイ」なんだとおもう。

 

やっぱね、ジュブナイル映画ってこういうのだよなーーーって感じ。

決して謎の全てが解明したわけではないのだけれど、それでいいのだとおもう。世界は謎に満ちてるからこそ美しいのだろうね。

 

 

子供の頃誰しもが持っていたまだ見ぬ世界へのワクワク、大人への憧れ。未来を悲観せず、希望を持って進むこの道こそがペンギンハイウェイなのだと言われてる気がした。

 

 

人生に対する圧倒的肯定。

 

これこそがこの作品の最大の魅力だとおもう。

こんなことを長ったらしく説明するのはすごーく大変かつ、ネタバレを避けると「おっぱい」の一言に落ち着くのは仕方ないのかなあとおもった。おっぱいって肯定力あるしね。